バーチャル世界は現実世界の制約をどこまで取り入れるべきか?

今日はバーチャル世界が現実の制約をどこまで取り入れるべきだろうか?ということを考えてみたいと思います。

バーチャルな世界というのはあらゆる制約から自由な世界です。空間に限りはありませんし、物理法則だって無視できます。そもそも現実世界の前提となっているこういった制約がなければ、我々が慣れ親しんだ現実の風景など無視すればよいのではないでしょうか?

重力がなければ家に支柱は不要ですし、雨風もなければ屋根や壁も必要ない。そうやって純粋にバーチャルな世界の制約をゼロから構築するならば、現実世界とはまったく異なる風景になるはずです。

そうなればその世界は目的に応じて最適化されたユーザーインターフェイスを持つことになるでしょう。そしておそらくその世界の多くは三次元世界ではない。

もしコミュニケーションを追求するのであれば、現実のように肉体に縛られる必要はなく、相手を識別できる情報、音声、テキストがあれば事足ります。つまり既存のインターネットのSNSの方が洗練されている。

つまりVRSNSや3次元メタバースに実用性はないのではないか?という疑問が出てきます。

ですからメタバースは”バーチャルリアリティ”というように、現実世界を模写した世界を作ることになる。でないと何をしたいのかわからない世界になってしまう。多くの人がメタバースにピンとこないのはそういうことだろうと思います。

しかしこれがゲームの場合は別です。ゲームの場合は現実の制約をゲーム性の土台として利用しています。

例えば当たり判定ですね。迷路ゲームでは迷路遊びを行うために壁に当たったらぶつかって止まるという現実と類似した制約が必要です。だからゲームでは3次元空間も上手に活用できるわけです。

それではメタバースに3次元空間が必要であるとすればどんな場合でしょうか?それは”作業”だと思います。

VRヘッドセットを被って複数のディスプレイで仕事を行ったり、VR空間で手を使って物を組み立てた、この成果を現実世界に還元する。これであれば3次元空間を活かすことができます。そしてこの場合は目的に応じた独自のユーザーインターフェイスを確立すればよく、必ずしも現実世界の様式を継承する必要のない世界になるのではないでしょうか。

目的性のあるメタバースは独自のインターフェイスを持ち、目的性のないメタバースは現実を模写した世界として存在価値を持てる・・・そんな風に感じています。

タイトルとURLをコピーしました